お知らせ



◆◇ お知らせ 

お大臣と貧乏人

今日のおまいりで考えさせられたこと。

70代女性の方がおっしゃいました。


「私が子どもの頃は、ウチは貧乏やからって

上の学校には入れてもらえなかった。

もちろん着るものやら食べるものも質素でね。

学校から帰ったら当然、家の手伝い。

畑や田んぼの仕事して、風呂の焚きつけに使うものを

山に拾いに行ったり…。

お大臣(お金持ち)の家の子は、住んでる家も違うし、

着ているものも違った。手なんか見ても、畑仕事やったこ

無いんやろうなっていう手をしててね。

でも、それでも何も思わなかった。

ウチはウチ、お大臣はお大臣。

親もそう言ってたし、そういうものだと思ってたからね。

でも今は違う。みーんな一緒。

誰でも同じように遊びに行ったり、良いバッグを持ったり。

人と違ったり、人より貧乏だとすごくみじめに思っちゃう。

私ら子どもの頃は貧乏人の方が多かったから、

貧乏でも気にならんかったのかもね。

でも貧乏してても明るかったし、誇りはあったよ。

間違った生き方したらいかん、と親は厳しかったし

貧しくても、手を合わせることは大切にしてた。

今はなんか、お金がなかったら全部ダメみたいな

大変な時代になっちゃったね」


と笑っておられました。


これ、いったい何なのでしょうか。

この方の子ども時代に比べたら

今は、はるかに豊かになりました。


でも、なんか「大変な時代」に感じてしまう。


本当の「豊かさ」とか「幸せ」は、

自分の外側には無いんだと思います。

例えば、財産、地位、名誉などは

追い求めても、終わりがありません。

(でも、いらないというわけではありません)


それに対して、自分の内側に「豊かさ」・「幸せ」を

持っている人は安定しています。

内側の豊かさ・幸せは、人と比べるものでもないし

世の中の常識に合わせる必要もありません


でも内側の豊かさ・幸せは、

自分ではなかなか気がつきません。

まず判断基準がありません。

自分なりに基準(例えば「自分の価値観」)

あるように思っても、それはどんどん変わります。

10年、20年前と価値観が変わらない人は、まずいません。


じゃあ、どうしたらいいのか。


時代の変化を超えて大切にされてきたものに

教えてもらうことだと思います。


仏さま、お寺、神さま、神社、先人の知恵、歴史、

自然のめぐみ、地域のつながり、近所の風景・・・


きっかけも答えも、ひとつではないかもしれません。

ただ、今日おはなしくださった方のように、

「貧乏してても明るかったし誇りもあった」と言える

心の土台があるってすごいことだな、と

あらためて感じました。


そして、その方から

偽物の豊かさに惑わされてないか?

誤魔化してない「本物のことば」で話してるか?

と厳しく問いかけられたような気がしています。